怒りの正体
人はどういう時に怒るのかは、どういう状態の時に怒らないのかを考えると分かりやすい。
現状なにも問題ない
この状態の時、あたりまえだが人は怒らない。
「こうあるべき」という理想の形と異なったものを押し付けられた時、思いが阻止された事に腹を立てる。なので「こうあるべき」という思いをたくさん持っていると、その違いに触れる確率があがり怒りやすくなる。
以前、仕事に関する資料をレビューしていた時、以下のようなことがあった。
その人のアイデアはいつも良くて内容は問題ない。なので内容について指摘することはなかった。ただちょっとした事(誤字・脱字とかレイアウトに関する程度のこと)にミスがあったのでそこを指摘したところ、
「そういう細かいところじゃなくて内容を見てください」と言われたことがあった。その時、即座に内容は素晴らしい問題ないよと回答できれば良かったのだが、相手が細かい指摘を「どうでもいいところ」という風な感じだったので、そこに反応してしまった。「どうでもよくないぞ」と。結果として相手は内容は見てもらえず、細かいレイアウトとかそんなミスだけ指摘されたと感じたかもしれない。
別の人でも同じような事があった。契約書などの書類をチェックしている時、もちろん内容も問題点は指摘するが、それと合わせて数字の半角全角の混在やレイアウトのズレも直すように指摘したところ、「そこはそのままでも法的文書として通るから重要ではない」という主旨の回答があった。
これ、人によって「こうあるべき」という理想の形が違うということです。
私はいくら内容が良くても、レイアウトが不揃い、文字の統一感がない、意味は分かるけど誤字(例えば電話番号の「‐」が「_」になってしまっている)等こういう細かいミスが点在しているとお客様が受ける印象が下がり内容までマイナスの評価を受けると思っている。
大事なのはそれをレビューを受ける側に伝えることだ。
相手の価値観が「内容が良ければ些細な見た目なんてどうでもいい」だとしたら、細かい誤字脱字、レイアウトの指摘は嫌がらせのように感じるかもしれない。でも自分がそういう事も併せて、仕事の品質として大事と捉えていると伝われば理解もされるだろう。
なぜ怒るのか、それは理想の形とのギャップ。
自分は何を理想としているのかまずは伝えよう。
伝えた上でその理想は違うと反論があったなら、あるべき理想の形を再度考えよう。